考察:舞台セット再利用の一側面

廃材の再利用

大道具は、なぜ簡単に再利用できないのか?

欲しい人は、たくさんいる

舞台演劇の大道具は再利用必須、みたいな話が出ることがあります。気持ちはよくわかります。実際、廃棄されるものを見ていると、小劇団ならのどから手が出るほど欲しいだろうなぁ、もらっておきたいだろうなぁ、というものが本当にたくさんあります。柱、手すり、大きな布、紗幕、ミラー。半端な材料や、少し欠けた発泡スチロールですら「それでも欲しい」と思うことがあるくらい、いろいろ捨てられています。

だからこそ、「なんで再利用しないの?」という声が出るのも自然だと思います。でも、そこには外から見るだけではわかりにくい事情があります。

渡せないのは、権利だけではない!

「権利の関係であげられない」と言われることがあります。デザイナーの著作権、主催者側の権利、最初から廃棄費込みで組まれている予算。そういう話ももちろんありますが、実際にはそれだけではありません。譲った先で事故が起きたときの責任の所在、これもかなり大きい問題です。

たとえば、譲渡した後に材料が折れて怪我をした、衣裳に塗料が付いた、強度が足りず壊れた、というようなことが起きたとき、善意で譲った側がどこまで責任を負うのか。使ってくれるなら嬉しい、では済まない怖さがあります。訴訟リスクまで含めて考えると、結局は廃棄したほうが手っ取り早い、という判断になってしまうわけです。

デザインは、その作品だけのものでもある

それから、セットの一部だけが別の舞台で使われて、「あ、あの作品の使い回しだ」とわかってしまうことを嫌うデザイナーも少なくありません。同じデザイナーの中で流用するのとは話が違って、別の作品、別の文脈で見えてしまうことを避けたい、という感覚です。加えて、その人しか使わない独特のマチエールみたいなものもあります。そういうものほど、簡単には外に出しにくい。

一見ただの材料に見えても、実際にはその作品の世界観をつくっていた一部、ということがあるのです。

バラしは、再利用向きにできていない

さらに言うと、バラしは時間との勝負です。終演後の現場では、ゆっくり丁寧に解体している余裕はあまりありません。かなり乱暴にバラすことも多いので、再利用しやすい形で残らないことも多いです。

もちろん、時間をかけて良ければもっと丁寧にできるかもしれません。でも、その時間を確保できるかというと、現実にはなかなか難しい。制作がそこを許すかという話にもなります。再利用できる形で残すこと自体に、すでに手間と時間がかかっているわけです。

最大の壁は、結局「倉庫」

そして、再利用が進まない最大の要因は、かなり現実的なところにあります。保管場所、つまり倉庫です。

大道具を残しておくには、大きな倉庫が必要です。ただ広ければいいわけでもなく、保管状態も大事です。状態が悪ければ、幕はカビるし、パネルや長物は反るし、塗料は剥がれます。残してはあるけれど、もう使いたくないもの、使えないものになってしまう。そうなると、取っておきたくても置いておく場所代が重くのしかかります。なんなら、保管期間や環境によっては、新しく作る制作費を上回ることすらあります。

土地代と輸送費の兼ね合いで、倉庫はどうしても都心から離れた場所になりがちです。でも遠くなれば今度は運ぶコストが増える。残したいのに置けない、置けても持ってくるのにお金がかかる。このジレンマはかなり大きいです。

実際には、長く使っている現場もある

一方で、大道具がまったく使い捨てかというと、もちろんそうでもありません。10年、20年と使うこともあります。特にバレエの大道具は、20年超えのものがごろごろしている団体もあります。

ただ、長く使えば当然劣化します。たとえば、ちちひもが限界で、吊り込んでいたドロップが翌朝劇場に来たら落ちていた、なんてこともあります。パネル関係の道具も、壊れそうだったらとりあえず材料を足して補強して、その公演をしのぐ。そういう場面は普通にあります。先に書いた通り、バラし自体が乱暴なことも多いので、そのぶん傷みも出ます。それでもなんとか補強しながら使い続けているわけです。

「型」があるものは残しやすい

また、歌舞伎は少し事情が違うように見えます。建具のような定格サイズのものが多いので、捨てずに保管して、修理して、再利用しやすいと考えられます。「丸々屋の演目」みたいに整理もしやすいのでしょう。

ただ、これはあくまでこちらから見ていてそう考えられる、という話であって、実際に大道具会社さんや劇場に取材したわけではありません。そこは分けておきたいところです。

現代演劇は、そもそも転用しにくい

歌舞伎やバレエのように、ある程度「型」が見えやすい演目と違って、現代演劇は作品ごとにゼロからデザインされる、いわばオーダーメイドが基本です。遠近法も含め、その舞台、その空間、その作品のためだけに設計されているので、別の作品に転用しようとしても思ったより使いづらい。一見すると無駄に見える廃棄も、実はそのステージのためだけに調整された一期一会の結果、という側面があります。

それでも、少しずつ動きはある

とはいえ、何も動きがないわけではありません。近年では、小劇場界隈を中心に、不用になった道具や材料を引き取ってくれる会社も出てきましたし、SNSで「このセット、バラしの後に引き取れる方いませんか?」と呼びかける動きもあります。ある劇場では、同じ舞台セットを何団体かで共有して、別々の演目を行うという面白い試みもあります。そういう機会を受け入れる主催者が増えていけば、状況は少しずつ変わっていくかもしれません。

「もったいない」だけでは進まない

だから、演劇界全部が大道具を使い捨てにしている、と一括りにしてしまうのは少し違う気がします。再利用やリサイクルは大事です。でも、安全性、責任の所在、権利、解体の時間、保管場所、輸送、状態管理、そういう現場の現実を抜きにして「SDGsだから」とだけ言われても、現場は簡単には動けません。

結局のところ、「もったいない」という感情と、「安全に幕を降ろす」という責任の間で、現場はずっと揺れています。リサイクルが進むこと自体は良いことだと思います。でもそれが、現場にだけ過剰な負担やリスクを押しつける形では続きません。必要なのは、善意だけに頼らない仕組みだと思います。時間も、場所も、責任の整理も含めて、ちゃんと回る形にしていかないと、本当の意味での再利用は根づかないのだろうと感じています。

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